ホスピタリティー・感動のサービスが実現する時

4000人のお客の顔と名前を覚えた伝説のドアマン

大阪に「伝説のドアマン」と呼ばれている人がいる。名田正俊さんという人である。名田さんは、山口県の小さな島の漁村で生まれた。家が貧しかったため進学できず、小学校を出て魚の仲買商見習いの道に進んだが、商売そのものが下火になり、やがて廃業の憂き目に会う。その為、二十九歳で職を求めて大阪に出た。倉庫の作業員として働き始め五年ほど働いた頃その倉庫が郊外に移転する事が決まり、倉庫の跡地に「大阪ロイヤルホテル」(現在のリーガーロイヤルホテル)が建設されることになった。

名田さんの人生はこれを機会に一変する。こうして、名田さんの「ホテルマン」としての新しい人生が始まった。何と34才からのスタートである。 身長158Cmと小柄で学歴のない1年生ホテルマンは、表舞台には配置されなかった。名田さんに与えられたのは、カーサービス係(駐車場の配車係だった)裏方の仕事である。

同年輩の人はすでに責任あるポストにつき、部下を従えて仕事をしていた。この格差のあまりの大きさに、名田さんは愕然としてしまい「辞めたい」と部長に相談に行くのである。その時、部長は「管理職になろうと競争するのではなく、お客様一人ひとりとの心の触れ合いを求めなさい。このホテルの中で、名田正俊しか出来ないことをやってみるべきだ」と諭してくれたのである。名田さんは賢明に考えた。当時ロイヤルホテルに頻繁に出入りしていたお客様の多くは政治家・官公庁・実業界の方々であり、ホテルの先輩方はこのようなお客様すべてを名前で呼び、営業に結びつけていた。名田さんはそれを見て、「これだ」と考えたのである。自分もお客様を何百人も覚えよう、そして、自分自身もお客様に覚えていただけるようにしよう。

このことでロイヤルホテルのNO1になろうと決意したのである。そして名田さんは、関西の政界・財界・官公庁のトップを含む400ヵ所、4000人について調べあげ、その全てを覚えることにしたのだ。 休日(当時週1回)を使って、覚えようとする人々のいる場所に出向いていったのである。初めて出向いたのは日本生命の本社である。忘れもしない、12月下旬の寒い日だった。妻に作ってもらった弁当を携え、もちろん交通費は自分もちで、とにかく一歩を踏み出した。駐車場の出入り口に立ち、寒風吹きすさぶ中で社長や役員をひたすら待ち、車の車種やナンバー、本人や運転手の顔を手帳に書き留めた。そして受付けに行き「このお車に乗っていらっしゃる方はどなたですか?」と尋ねた。しかし不審がられて教えてもらえない。身分証明書を取りに行きあらためて来社。総務課を紹介され教えてもらったのである。

名田さんはこれを休日ごとに繰り返した。すさまじい努力である。大企業の場合、本社役員の数が20人を超える。名田さんはその一人ひとりを覚えいった。当初は1社に4回も5回も通っていたが、2年目の終わりには1回ですべて覚えてしまうほど集中力が高まったという。2年にわたって全休日をこれに費やしついに2000人分を覚えた。つまり2000人分の使用車種、ナンバー、社長の顔と名前、運転手の顔と名前と、実に2000×4=8000の事柄を覚えたのである。そして後年には、配車係りやドアマンの責任者を担当しながら、実に4000人お客様を覚えるに至ったのである。

名田さんは社長就任パーティーや創業周年記念パーティーなどを終えて階下に降りてくる人の顔を見ただけで「奈良県知事の車どうぞ」「大阪ガスの山本専務の車どうぞ」と呼び出すことができるようになったのである。そしてドアマンとして表舞台の立ち、パーティーなどの開催前には虎の子の手帳を見てデータを確認・暗記し「今度、綾子お嬢様がご結婚だそうですね。」「奥様、おめでとうございます。本日はお誕生日会でございますね。ホテルからバースデーケーキをご用意させていただいております。」と、心のこもった言葉をかけ続けた。こうして名田さんの人柄や熱心さがお客さまの心に刻みこまれていったのである。やがてお客さまの方から「あの時は大変でしたね。」と、声をかけられることが多くなった。熱い夏の日も、寒い雪の冬の日も、雨の日も風の日も、あちこちの駐車場の出入り口でポツンと立っていた名田さんのことを、企業のトップや知事はよく覚えていた。当時から話題になっていたのである。努力は必ず誰かが見ていてくれるものだ。ドアマンの名田さんが玄関に立っているだけで、「今度うちの息子の結婚が決まったから、名田さんウエディングの部長と交渉してくれよ」など、お客さまの方から名田さんを指名し仕事が入ってくるようになったのだ。

名田さんは言う。「小さなことを一つずつ一つずつ積み重ねていくことの大切さを、本当にしみじみと感じました。」4000人の顔を覚え、パーティー後のお客さまの顔を見て手際よく車を呼び、お客さま一人ひとりの好みを覚えてサービスに反映させる。名田さんの素晴らしい技が、やがて大阪中のホテルの評判になっていき、スカウトも掛かり部長にも支配人にもなっていったのである。現在引退され、今は講演依頼が後を絶たたず後輩の指導に活躍中である。

ありがとう!伝説のドアマン。名田先生。

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